百々目鬼(とどめき)
男なんて、皆馬鹿で、単細胞で、ほんっと・・・どうしようもない生き物
大切な人が側にいたって、ちょっと私が微笑めば鼻の下伸ばしてついてくる
だから、私はやめられない
奪うのをやめない・・・・・
「奈々美さー里佳子の彼氏と付き合ってるんだって?」
会社の更衣室。
「あ、元カレか。」
業務も終わり、質素な社服から華やかな私服へと着替える女子社員。
いつもなら10人程度いるが、今日は残業で残った彼女等二人だけだった。
「ん〜・・・あ〜あれね〜。」
鏡に向かい、化粧を直しながら奈々美は口篭る。
「里佳子泣いてたよ。いい加減やめたら?」
少しばかりの怒りの表情で自分を見据える同僚を、鏡越しに見ながら口紅を塗りなおす。
「あんな男と早く別れられただけ、感謝して欲しいくらいよ。」
朝よりは多少緩んだ巻き髪を指に巻きつけ、クセを戻す。
「あんたねぇ・・・。」
二の句が告げられない同僚に向き直った。
「たった一度よ。」
「?」
「たった一度二人で食事しただけなのに、しかも、『里佳子の事で相談がある』って言うから私は行ったの。」
美人と言うほどではないが、愛嬌のある可愛らしい顔を少し歪めて奈々美は言う。
「そうしたら、どうよ。『前から気になってた。里佳子の事は口実で・・・』って始める訳よ。里佳子と別れてからなら話は分かるけど、付き合ってる段階でそんな事言うなんて、どうかしてる。彼女を保険としかみてないんじゃん?」
意味が分かんない。そう呟いてまた鏡を見始めた。
「だったら、どうして奈々美がそれと付き合ってるのさ?」
「だって、私が引き受けないと里佳子と別れないじゃん。」
同僚は眉間に思い切り皺を寄せ、激しく呆れた顔をする。
「何それ。正義の味方のつもり?私には偽善としか取れないけど。」
「どうとでもお好きなように。」
これ以上話をしても苛立つだけだと、同僚は無言で更衣室を出て行った。
「・・・・・男も馬鹿だけど、女も浅はかだよねぇ〜。」
誰も居なくなった更衣室でぽつり。呟いた。
奈々美が男を奪ったのは、一度や二度ではない。
会社の同僚、後輩、プライベートの友人、果ては先輩に至るまで、被害にあったのは両手の指じゃ足りないくらいだ。
そのどれもが、もって三ヶ月。
奈々美は自らの正義に基づいての行動故に罪悪感など一欠片も持ち合わせてはいなかった。
実際、彼女はモテる事を鼻にかけたりするような事はなく。
むしろ自分に群がる男を敵視している感さえあった。
だが、周りには決してそうは見えておらず。
只の男好き。モテるのを良い事に、人の男を奪って自分の魅力を試しているのだと。
そんな陰口が絶えない。
それでも彼女は何処吹く風で。
自分の歪んだ『正義』を頑なに信じていた。
例え、自分では正しい行いだと信じていようとも。方法を間違えば、それは、悪に転じてしまうのだという事を、人の話に耳を傾けない彼女は知る術を持たなかった。
それが、取り返しのつかない恐ろしい出来事を引き寄せていたとしても。
残業が終わり、奈々美はいつものように更衣室で着替えをしていた。
そういえば、行きつけのバーで悪い男に引っかかってる女の子がいたなぁ。
あの男は前に自分にも声を掛けてきてたな、なんて思いながら。
静寂を破り、三期下の女子社員が入ってきた。
「あ・・・お疲れ様です。」
おずおずとした様子で挨拶をする。
「お疲れ。」
素っ気無い返事を返し、ちらりと一瞥をくれてからまた鏡に向き直った。
気まずい沈黙が続く。
その女子社員、由愛(ゆめ)は社内で唯一、といってもいいだろう。
奈々美の事が嫌いではなかった。
彼氏を盗られた同僚には悪いと思いながらも、奈々美の行動になんらかの「優しさ」という意図を感じ取っていたのだ。
だいたいが、ちょっと良い顔をされただけで他の女に靡く様な男と付き合い続けていても、先はない。
それを奈々美は身をもって教えてくれているのではないか。
その場は悲しいし、悔しいかもしれないが、その内に別れて良かったんだと気付いても良さそうなものだと。
彼女は思っていた。
いつまでも奪われた事のみに執着して、憎しみ、恨みに気を取られているから新しい素敵な出会いもないのではないか。
そういう考えの彼女だからこそ、少しだけ、奈々美の事を理解できていた。
だが、公(おおやけ)に仲良くする義理もなければ、そのつもりもない。
手早く着替え、更衣室を出ようとした瞬間。
彼女の目にあり得ないものが飛び込んできた。
鏡越しに見えた奈々美の白い腕に。
無数の目。
錯覚ではない。
その目の視線は全て彼女に注がれ、驚きに硬直している様(さま)をあざ笑うかのような形に歪んでいる。
「っ・・・!!」
思わず後ずさった。
ガタン
身体がロッカーに当たり、思ったより大きな音を立てた。
奈々美がきょとん、とした顔をこちらに向ける。
「どうしたの?ねずみでも出た?」
冗談混じりに笑いながらそう言った。
無言のまま奈々美の腕を掴んだ。
「先輩っ・・・・。」
もうその時には無数の目は跡形も無く消え、奈々美の腕はいつものように白くて綺麗だった。
軽く眉を顰め、小首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ・・・・。」
自分が今見たものを話したとしても、笑われるか、悪ければ怒らせてしまうかもしれない。
「先輩の腕・・・怪我してるのかと思ったんですが、見間違いだったみたいです。」
やっとの事でそれだけ告げる。
心配してくれたのだと思った奈々美はにこりと微笑んだ。
「大丈夫よ。ちょっと暗いから、影がそう見えたのかもね。ありがとう。」
孤立して平気な顔をしていても、やはり奈々美も人間だ。
心配されれば嬉しいのだろう。
小さく鼻歌を歌いながら化粧直しを続ける奈々美の背中を見て、肩の力がどっと抜けた。
見間違いだったのだと自分に言い聞かせて、由愛は更衣室を後にした。
もし。
その時。
彼女がこの目の正体を知っていたなら、もしくは、自分が奈々美をどう思っているか告げていたのなら。
この後の悲劇は起きなかったかもしれない。
例え、正しい目的の為であっても。
人を傷つける。という行為がどのような結末を手繰り寄せるのか。
例え、物ではなくても。
悪戯に人の心を奪う。という行為が許されざるものであるという事。
法の裁きを受けなくとも、巡り巡って自分に返ってくるのだ。
更衣室の一件から、数ヶ月。
衣替えも済み、そろそろ蝉の命の叫びも鬱陶しくなる季節もすぐそこ。
社内は徐々に不穏な空気が漂ってきていた。
「また奈々美先輩やったらしいよ!」
「あ、佳苗の事?」
「え?佳苗も?私が聞いたのは真理奈だよ。」
「マッジで?!瑛子先輩もだって話なのに?」
ここ数ヶ月で奈々美の行動は今までよりも目に余るものとなっていた。
婚約中の、およそ心移りなどしようもない男までもが奈々美の虜となった。
その話を聞いていた由愛は人知れず胸を痛めていた。
(まさか・・・奈々美先輩はそんな人じゃ・・・。)
奈々美の何を知っているわけでもないが、彼女の行動に『正義』を感じ取っていた由愛は失望を隠せない。
一度、きちんと話をしてみたい衝動にかられて。
由愛はその日、更衣室で残業を終えた奈々美が来るのを待った。
(只の噂であって欲しい。)そう願いながら。
かちゃ・・・。
静かに更衣室のドアが開き、制服姿の奈々美が入ってきた。
その風貌は、前の瑞々しい美しさとは打って変わって。形容のしがたい妖しさを放っている。
「奈々美先輩・・・。」
由愛はおずおずと声を掛けた。
「何?」
一瞥くれた奈々美の目は、まるで下等動物でも見るような冷たさを感じる。
「先輩っ。私・・・・・先輩の事は・・。」
いざとなったら、どこから切り出したら良いのか分からない。
けれど、自分のこの気持ちは今伝えなければ、もう二度と伝える事は出来なくなる。
そんな気がした。
「だから、何?」
多少、苛々としながら奈々美はロッカーに手を掛けたまま由愛の方を見ていた。
「最近の先輩はひどいです。前の人達は彼氏がひどい人だって知ってたんで、何とも思わなかったんですが、真理奈とか、瑛子先輩の彼氏さんは、凄く・・・良い人でした・・・。」
「あんたに何が分かるのよ。」
力が込められた手が、ロッカーの取っ手をぎしりと鳴らした。
「男なんてね!最初だけよっ!!その内、勝手な理由付けて浮気する生き物なのよ!!」
「それは先輩の考えだけでしょ?!そうじゃない男だって世の中にはきっといます!」
由愛のセリフを聞いて、奈々美はにやりと笑った。
「"きっと"なのね?あなたも分かっているのよね。男なんてろくでもない生き物だって事が。」
由愛はぐっ、と言葉に詰まった。
「今まで・・・一人の例外も無く。私に靡かなかった男はいないのよ?!これがどういう事だか分かる?!もう、私には・・・あいつらが信じられないの!!男っていう生き物なんかこの世にいらない!」
絶叫するように言い放った奈々美の表情は、怒りとも悲しみともつかない。今まで見たこともない感情をさらけ出していた。
由愛は初めて、『奈々美』と会話が出来た気がした。
「私の勝手な思い込みかもしれないんですけどっ。・・・なんだか先輩は、そのろくでもない男から皆を守っていたように思っていました。」
やっとの事でそれだけ搾り出した。
かたりとも音のしない静寂。
奈々美の足元に落としていた由愛の視界に、ぱたっと小さな雫が飛び込んだ。
ゆっくりと視線を上げると、奈々美の大きな瞳からはとめどなく涙が溢れ出していた。
瞬間、奈々美の白い腕に無数の目。
ぱちりと開き、一斉に由愛を見つめた。
がくん、と頭を垂れた奈々美の口から恐ろしい響きの声が漏れる。
『傍観も罪』
くるりと踵を返した奈々美は、四階の高さにある更衣室の窓から何の躊躇いもなく。
飛び降りた。
由愛の目の奥に焼きついたその光景は、まるで映画のスローモーションのようにゆっくりだった。
もしかしたら、止められたかもしれないと思えるほど。
飛び降りる瞬間、無数の目がじっと。由愛を凝視していた。
頭の中で、あの不気味な声が反響する。
『傍観も罪』
それから後のことはよく覚えていない。
由愛は疑われはしたが、捜査が進むと自殺の線が強まり、社内の噂も徐々に沈静化していった。
それから程なくして、由愛は人が変わったようになった。
「ねぇ、由愛。香奈の彼氏盗ったって?」
「盗ったって、人聞きの悪い。ちょっと良い顔しただけでほいほい付いてくる男が悪いんでしょう?」
「なにそれっ!あんたは何も悪くないって言うの!?」
「やり方は悪いけど、結果は悪くないでしょ。浮気者と早く別れられたんだし。」
服装も、化粧も派手になり。前より格段に綺麗になった由愛はくすりと笑った。
「・・・・っ!」
話をしながら、同僚は今はもういないある人の事を思い出していた。
「なんか・・・今の由愛って。」
その先は口に出す事は躊躇われた。
「奈々美先輩は良い人だったよ。男しか見えてない人には分かんないよ。」
「もう良いっ!その内、あんたもあの人と同じ運命になるんだから!」
そう吐き捨てて、同僚は更衣室を後にした。
誰も居なくなった更衣室で由愛はふいに自分の腕に目を落とす。
白く、細い腕に無数の目。
だが、それは一瞬。
自分の願望。
「ねぇ、奈々美先輩。あれって、百々目鬼っていう妖怪なんだって。盗みを働く女性に取り憑くんだって。」
『その内、あんたもあの人と同じ運命になるんだから!』
同僚の言葉を思い返す。
「そうなれたのなら、どんなに良いか。私がもっと早く奈々美先輩に話しかけてたら。」
彼女はここで、今も笑っていたかもしれない。
今の自分は彼女への贖罪。
あの事件後に、どんなに振り払おうとも消えない。
地の底から響くような声。
『傍観も罪』
共鳴していたのなら、手を取るべきだった。
一人で、間違った戦い方をしていた彼女の手を握り締めて。たくさんたくさん話すべきだった。
奈々美と同じ生き方をしたなら、いつか彼女の声が聞こえるかもしれない。
拭っても、拭っても、消えない罪。
それを抱えながら、由愛は生きる。
いつか、あの無数の目が現れて、自分を裁いてくれるまで。
END
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実に久し振りに更新しました。
もう後一歩ってとこまではいってたんですが、これが中々超えられない壁でした。
今日はもう力尽きるので、コメントだけまた更新しますね^^;
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